2008年7月31日木曜日

7月29日 モーニングセミナー 300回記念「私の相撲人生」


横浜市中央倫理法人会300回記念モーニングセミナーを7月29日(火)ブリーズベイホテルで開催いたしました。

講話者は鹿児島県徳之島町出身、元高砂部屋(入門時は若松部屋)の力士、現高砂部屋マネージャの一ノ矢充様(本名:松田哲博)が「私の相撲人生」と題しましてお話しされました。

一ノ矢さんは昭和以降の最高齢力士「47歳」で初の国立大学出身の力士です。

当時の日本相撲協会の新弟子入門規定では慎重173センチ体重75キロ以上が必要でしたが、一ノ矢さんは身長166センチと7センチも足りないためそのままでは入門できない。それでもあきらめる気のない一ノ矢さんは身長を伸ばす体操をしたり、足にひもを縛り付けてホルモン注射を打つなど、あらゆる努力をしましたが、5ミリ程度しか伸びませんでした。
暫定的に身長を伸ばすために行った舞の海さんのシリコン話は有名ですが、舞の海さんのときにはすでにノウハウが確立されていて、頭皮の皮下に液状のシリコンを注入する袋をあらかじめ仕込んでおき、この袋にシリコンを入れるので、あとで袋ごと回収すれば元通りだったのですが、一ノ矢さんのころにはまだこんなノウハウは確立されていない頃でしたので、液状のまま頭皮下にシリコンを流し込んで、シリコンが流れてしまわないように、計測日まで横になり、さらにシリコンを入れた部分を保持するためにお椀を逆さにして押さえておくなどの工夫をして計測に臨みました。

こうした熱い思いと努力が通じたのか、新弟子検査で認められ、若松部屋に入門。一ノ矢さんの夢は叶いました。

最高位3段目六枚目小兵で出世はままなりませんでしたが、自らの選んだ相撲道をかたくなに貫き通しました。

現役時代は押し、出し投げ、肩すかしを得意としていましたが、毎場所のようにケガに悩まされました。
30歳代では、ケガを仲間と思い仲良くつきあうことを覚え、40歳代ではケガを自分自身ととらえて、身体と対話し見つめ直すチャンスだと思えるようになったといいます。

40歳を超える頃から相撲記者から年齢に関する取材が増え、その頃から相撲を「武道」と位置づけ、年齢に関係ない筋肉の付け方や使い方を知れば、まだまだ強くなれることを証明したいと思うようになり、年を取るのが楽しくなったとも語っていました。

2007年、47歳の結婚を機に引退した一ノ矢さんはこれからも相撲に関わって体の使い方など後進の指導に当たっていきたいとお話しされました。

(文:専任幹事 鵜飼稔)

2008年7月25日金曜日

今週の倫理 (569号)より 人を人たらしめるもの それは人の愛である

 今から八百年程前、ローマ帝国のフリードリッヒ二世が、多くの新生児を集めて恐ろしい実験を行いました。
集めた新生児に対してスキンシップを全く施さず、言葉も掛けることなく、世話係がミルクを与えて胃袋を満たし、排泄の処理だけして育てたのです。その結果、ほとんどの新生児が心を病み、多くが死んでいったというのです。

 この事実から、人は栄養補給と身辺処理だけではまともに生きてはいけず、スキンシップは魂の正常化をはかる上で極めて重要であるということは明らかです。新生児は親からの愛情を得ようと、精神的乾きを何とかして潤そうと必死なのです。

現在の日本を見渡すと、あらゆるところで魂の叫びが聞こえてきているという現状です。家庭・学校での教育が崩壊しつつある今、職場での教育が最後の砦ではないかとも言われています。
社員教育で頭を悩ませていたA社長の会社では、とくに若手社員の離職率が高く、無断欠勤・遅刻、トラブル等が後を絶たない状況でした。そうした中、経営者モーニングセミナーで輪読する『万人幸福の栞』の一節に氏は光明を見いだしたのです。

人を生み、育て、やしなう、これは親の愛である。家庭をつくり、社会をいとなみ、人の世の幸福と文化を生み出すもとは、人の愛である。
それからというもの、社員を我が子のように思い、専務である妻と二人で時には親代わりに叱り、時には誰よりも応援しました。A社長夫婦の家族以上の関わりに若手社員も心打たれ、「裏切れない」という思いから、問題が激減したのです。

 倫理研究所創設者の丸山敏雄は、その著『純粋倫理原論』「愛の倫理」の中で、愛を段階的に説明しています。最も低い愛情を自己愛であると述べ、これは己一人の為に愛を支配・独占、すべて我が物としようとする我情の変形であるとしています。恋愛は、この段階で終わるものが多く、男女の愛は、じつは動物愛を誇張したものであるとも言っています。

 次の段階として愛が人間のものになってくると、まず、滲み出るのは憐憫の情で、「気の毒だな」「かわいそうだな」という同情心となります。この時、人間の心は動物の心とは離れ、これが高められて友愛となり、師弟の愛となり、主従の愛となり、ついに親子絶対の愛になるというのです。

 多くの親は、子供のためならば、己を捨て子供を守ろうとします。子供が病気になろうものなら「自分が代わりに病気になります。だから子供だけは助けて下さい」と念じ、子供が危険にさらされようものならば、命がけで助けに行くでしょう。そこには自己愛など無く、我が子に幸せになってもらいたいという思いしか存在しません。

どのような人にも父親と母親は存在します。また親代わりとされる人が存在します。会社では社長が親であり、社員はかわいい子供たちです。社員の幸せを願い、親のような思いに至ったとき、真心の働きが姿を現わすのです。

2008年7月18日金曜日

今週の倫理 (568号)より 住職はお天道様

食品業界の一部企業による、賞味期限の改竄や産地の偽装。公立学校の教員採用に関する贈収賄事件。はたまた居酒屋タクシーなるものの、日本の中枢官庁街である霞ヶ関界隈への出没。連日、性懲りもなくと思えるほど、モラル低下の深刻さが報道される日本の現況です。

一九四六年、アメリカ人の文化人類学者ルース・ベネディクト女史は、著書『菊と刀』の中で独自の日本人論を展開し、日本文化を「恥の文化」と規定しました。しかし戦後六十年以上が経過した今、日本人が持っていたといわれる「恥じる」という高い精神性は、地に落ちたといった様相です。

しかし、それらをあげつらい、手をこまぬいて嘆いてみても状況は変わらず、いよいよ悪化の一途をたどるばかりです。まずは私たち一人ひとりが、身近な足下から改善をはかっていくことが大切です。
倫理法人会に入会して約一年が経過するK氏は、入会後まもなく「倫理は実践が大事」と聞き、先輩会員の勧めもあり、日常の身近な実践を徹底して行なってきました。

その実践とは、まさに足下の実践として「脱いだ靴を揃える」ということ。玄関に上がったら、腰をかがめて自らの手を使って、次に履きやすいように「出船」の状態にしておくというものでした。さらには、家族の靴が乱れていたら、何も言わずに整えるということも加え、付き合いでどんなに酔っ払って遅く帰っても、それを終始一貫続けてきました。

これが習慣となり、自宅以外で靴を脱ぐ際にも自然に行なえるようになり、自身の仕事においても一つひとつの仕事の後始末が苦手ではなくなっていました。
さらに嬉しいことには、この実践が新規得意先の獲得につながるということまで起こってきたのです。
K氏は仕出し料理屋を経営し、お祝い事はもとより、法事等でも料理を提供していました。そんな中で、あるお寺に半年ほど前からお取引頂けるようになり、現在では大きなお得意さんになっていました。そのお寺の住職が先日、料理を依頼するようになった経緯を初めて漏らしたのです。

それは見本を持って何度も訪れていた頃のこと、本殿の前で住職に商品の説明をしていた折、たまたま檀家のご家族がお参りにみえ、住職が案内に立った時です。一人残された氏は、いつもの習慣から、ご家族が脱いだ靴をサッと揃えたのです。この時の自然な姿を、住職が見ており、「この人物の会社なら安心して頼むことができる」というのが、決定理由だったとのことでした。氏は驚き、そして喜びつつ、陰日向なく、事業に臨む大切さを実感したそうです。

トップの日常の姿勢が企業の全体像として浮き彫りになることは、様々な企業不祥事を見ても明らかです。「お天道様」という言葉が最近聞かれなくなりましたが、他人の目があろうがなかろうが、自己の良心に恥じない行動をとることが、大切な実践といえるでしょう。

2008年7月11日金曜日

今週の倫理 (567号)より 倫理経営者として 世を照らす光たれ

昨今の国内における社会情勢を鑑みると、人としてあるまじき行為が巷で横行し、企業においては法令無視をはじめ、組織ぐるみの虚偽や隠蔽が常にマスコミの標的となって世間を賑わせています。
 さらに、原油や食材など原材料価格の高騰や建築基準法の改正の影響などにより、廃業せざるを得ない中小零細企業も増えつつあります。今後の日本を支える経済は、霧に包まれた時代に差し掛かっているといっても過言ではありません。

 企業は「勝ち残る企業」「生き残る企業」「潰れる企業」の三種類だといわれます。中でも、「勝ち残る企業」は全体の5%足らずとされ、大多数の企業は日夜、喰うか喰われるかの生き残りをかけた壮絶なサバイバルを展開しています。

 しかし景気がどんなに悪くとも、絶妙の経営感覚をもって変化の波に乗り続けて成長・繁栄を手にしている企業は存在します。『会社の品格』(小笹芳央著、幻冬舎)に紹介されている、成長・繁栄する企業や経営者の五つの源泉を紹介しましょう。
 
一、専門性(企業として経営者としてある特定の分野に長けている、ある分野で高い評価を得ている、メンバー以上に経験が豊富である。そういった専門的な技術や資格、知識、情報をもっているかどうか)

二、人間性(経営者として人間的魅力、身体的魅力、人間的資質など、人間観の構築にどれだけ努めているかどうか)

三、返報性(社員が「この社長の期待に応えたい」「この会社の発展に貢献したい」という強い感恩と報恩の情を、どれくらいもっているかどうか)

四、一貫性(経営者として言行一致の姿勢を貫き続けているかどうか。また、経営理念や社是・社訓など「何のために」という大義や方向性を企業として持ち続けているかどうか)

五、厳格性(経営者として信賞必罰を妥協や迷いなく実行できているかどうか。自分に対する厳しさを持っているかどうか。社内にいい意味での緊張感や空気を作っているかどうか)

 ここに紹介した成長・繁栄する企業や経営者の五つの源泉をすべて取り入れるということは、なかなか難しい部分があるかと思われます。しかしどれか一つでも、経営者として企業として取り組んでみることで、現況の打開策に活用してみてはいかがでしょう。

倫理とは、人間間の道理や根本原理を指しますが、倫理法人会の会友は、その倫理に基づいた経営のあり方、経営者としてのあり方を学ぶことにより、地域経済ひいては日本経済を支えることを一つの目的として活動を展開しています。

 明るさの乏しい現代において、太陽のような力強い熱気と八方を照らす光をもった経営者であり続けたいものです。

2008年7月4日金曜日

今週の倫理 (566号)より 両親との関係が人間関係の根本

先日起きた秋葉原での連続殺傷事件についての報道でもクローズアップされていましたが、人との絆が薄れ、孤独になるとエゴが増長し、物事を正しく見られなくなります。一方、人と人との絆が強まることで、自分の周囲に様々なよい流れを作ることが出来ます。人は人と交わることによって本当の人になるのです。

 親子関係で問題を抱えていたA氏は、子供の頃は可愛かった長男に対して、「もうこの子はいないほうが、我が家は幸せになるのではないだろうか。幸いにも次男がいることだし、長男はどこかに出て行ってくれないものだろうか」と真剣に思うようになりました。

 この時、A氏の夫婦中もまた冷えていました。夫婦として一緒に住んでいるものの、ただ同居しているだけといった関係でした。さらには、長年の懸案事項であった両親との関係も未解決のままで、とくに父に対してマイナスの感情がぬぐい去れないでいたのです。

そんなA氏の悩んでいる姿を見た友人が、A氏を地元のモーニングセミナーに誘いました。そこで「両親との関係の良し悪しがあらゆる人間関係の根本をなす」と知り、さっそく疎遠になっていた今は亡き父の墓参りに出向き、これまでの心間違いを詫びます。その後も定期的に墓参を続ける中で、それまでは嫌っていた元気な頃の父の言動は、実は自分たち兄弟への愛情の表われだったことに気づきます。

この気づきとほぼ時を同じくして、妻との関係も長男との関係も改善の方向に進み、今では夫婦関係はもとより、長男との関係も良くなり、家族としての幸せをしみじみと味わっています。 

 わずらわしさや苦手意識、また人の好き嫌いなどから、他人との絆が希薄になった状態は、自分では気づかないものの自己中心的な生き方になっています。そのあり方は、自分を守り、尊重するようで、実は自他の生命をも疎かにする行為となります。

 この私たちを取り巻く絆には、大きく分けて縦(上司・部下などの関係)と横(同僚・友人などの関係)という二種類の絆があります。この二種類の絆を共によくするには、わが両親との関係をより良くすることです。両親との関係を良くできる人は、自分の周囲に起こった出来事に対して、何を意味するか気づきやすくなります。

 自分の身に起こってくることは、苦しいこと(自分にとっては苦しい出来事)であっても、不必要なことは何一つなく、《全ての出来事には自分を成長させる何かの意味がある》ものです。
しかし、両親との関係がよくない場合は、様々な出来事に含まれる大切な意味に気づかず、見過ごしやすくなります。その出来事が苦しみ事ならば、単なる苦しみのままで終始し、せっかくの自己成長の機会を逃すことにもなります。

そこで両親との関係をよりよいものにする実践として、もしもこれまでに間違った感情を親に向けていたならば、A氏と同じように素直に詫びることです。両親の現在の生存の有無に関わらず、頻繁に顔を見せる、(墓前に)報告をするなど、できる限り喜んでいただける精一杯の努力と実践を継続していきたいものです。  

2008年7月1日火曜日

7月1日 モーニングセミナー 「狂言の世界」



本日の講話者は大蔵狂言師の善竹十朗様です。(※重要無形文化財総合指定保持者)

「能楽」は21世紀になり、国連世界無形遺産に認定され、日本でもにわかにクローズされてきました。

そもそも「能楽」とは、「能」「狂言」のふたつを併せて「能楽」といい古くから大衆芸能として今で言うミュージカルやコントのような位置づけで愛されてきたわけですが、明治以降、時の政府が幕府の大事にしてきたものより、まず外国のものを紹介して、これらに追いつけ追い越せという政策を行ったため現代のように「能楽」を知らない人が増えてしまいました。

しかしながらここにきて、世界無形遺産のこともあり、日本古来の伝統芸能を楽しんでみようという機運もたかまってきたようです。
たとえば、横浜能楽堂の館長(元アサヒジャーナル編集長)は「能楽」への造詣が深く、新しい能楽の楽しみ方を発信するなどの取り組みを行っています。


「狂言」は人間の弱い部分を表現し、それをみんなで笑うといったコメディなので、いつの時代にも受け入れられるものであり、堅苦しく考えずに楽しんでいただきたいと思います。

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「狂言」の演目のくだりなどを実際に間近で詠っていただき、とても楽しいMSでした。


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※重要無形文化財総合指定保持者とは、国の重要無形文化財を正しく継承している人を認定する制度です。