2010年5月11日火曜日

5月11日MS 「太平洋戦争史」@横浜市中央


今回の講師は(有)旭企業 代表取締役・横浜市鶴見倫理法人会 相談役の磯ヶ谷幹雄氏、昭和12年横浜市生まれの73歳。父が召集されて戦地で無念の最期を遂げたことが、何故このような戦争をすることになったのか、今回のテーマである「太平洋戦争史」を調べることになった動機だという。
東芝に勤務中、1944年1月35歳で召集され、7月にサイパン島にて戦死されたという。出征にあたり母・妻宛てに遺言を認めており、家族、特に講師を含む幼き子たちへの教育を託する思いが切々と綴られているが、母は講師が勤めるようになって初めて父の遺言をみせてくれたとのこと。

講師は鶴見遺族会副会長等の遺族会関係の要職を務めているが、昨日上大岡の神奈川県戦没者慰霊堂で行われた今年度追悼式に参列した。神奈川県で5万8千名余、横浜市で2万2千名弱、地元の鶴見区駒岡町だけでも32名の戦没者の名簿が納められているとのこと。以前『神奈川遺族通信』に、靖国神社公式参拝など遺族会活動への国等の対応に講師が苦言を投稿しているが、その状況は現在も依然として改善されていない。

1894年の日清戦争から1941年の太平洋戦争(大東亜戦争)開戦を経て1945年の無条件降伏まで、戦争等でのキーパーソンを中心に講師の見解等を交えて史実を説明していただいた。東京裁判の不当性についても言及されたが、いつの時代にあっても世の中を見る確かな眼を持つことの大切さを強調されていたのが印象的でした。
海軍航空育ての親といわれる大西滝次郎は日本のとるべき方針について、その都度上申しているが、採用されていればその後の大東亜戦争の展開が変わっていたかも知れぬと思わせる内容であった。日本海軍のかくも高い見識を持った人物が鶴見総持寺に眠っているとのこと。総持寺には著名人の墓が多数あるが、石原裕次郎だけでなく、こちらの墓にも参ってみたいと思いました。

事務長 萩野宏樹

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