2010年4月27日火曜日

4月27日MS 「人は脚本に従ったドラマを演ずる」@横浜市中央


今回の講師は(有)トーク人財開発 代表取締役、実践実務教育研究所所長で当会会員の佐藤 寛(ひろし)氏、昭和21年東京生まれ。佐藤氏は現在、研修講師として東証一部上場企業から町の商店に至るまで、企業や団体を中心に人事活性化研修や講演などを実施するとともに、『あの人の部下になりたい、と言わせる本』『お客さまからの感謝状』など同氏の著作は30冊を数える。

講師の専門の一つである交流分析を基にして、本日のテーマについての講話を始められた。『人生ドラマの自己分析』は、アメリカで創案された交流分析(Transactional Analysis:TA)を心身一如の立場から日本流に修
正してこしらえた、新しい自己分析の方法。「よりよいコミュニケーションを求めるための心理学」として多くの企業の社内研修に活用されているほか、「葛藤を抱く人の心身治療」に応用されている(心療内科)。

人生脚本は生後3歳位までの親、特に母親とのふれあい(交流)のありかたが重要。というのは、3歳までの間が脳・神経系や情緒・生活習慣の発達上重要な時期であることが明らかになったことによる。この時期に愛情に満ちたケアや養育を受けないと、成人としての価値観や社会的行動の形成に深刻な障害(発達障害など)を引き起こすことが知られている。そのためには、親がしっかりとした人生観を持ち誠実に日常生活に向き合うことが大事であると説く。

人生脚本は個人の人生の最も重要な局面(進学、就職、結婚、等々)で、どう行動するかを指図するもので、それがもし歪んだ脚本ならばその人に不幸をもたらす。その場合にはこれに気づき、なぜかを分析し、自分自身の行動を改め元の脚本から脱出することが必要となる。
おごらず卑屈にならず肩の力を抜いて、自らの人生舞台の主役を演じ切ることの大切さについて考えさせられました。

事務長 萩野宏樹

2010年4月20日火曜日

4月20日MS 「継続するちから」@横浜市中央


本日の講師は(社)倫理研究所法人局普及事業部 首都圏方面副方面長の荒木良仁(よしまさ)氏、大阪府生まれ40歳。今年度より富士高原研究所から教育業務部を経て現職へ異動となったが、お住まいは御殿場とのこと。

日本で最初にビジネス小説を書いたのは江戸元禄時代の伊原西鶴とされているが、代表作の一つ「日本永代蔵」には実話に基づいた面白い話が載っている。その中で成功者が継続して実践している5項目は①朝起き②夜詰め(夜遅くまで働く)③家職(本業からはずれない)④始末(倹約・物を大切にする)⑤達者 としている。中でも③家職を重視していた。⑤の健康を保つ実習として、講師は肩のコリをとる運動を隣同士をペアにして指導された(動画参照)。身体で覚えたものは忘れないので、是非続けてもらいたいとのこと。

講師からは上記5項目に下記1項目の追加を提案され、⑥心を磨く実践 を挙げた。とりわけ読書には①心を育てる②仕事の情報を得る③人生を楽しむ の効能があるとして、特に「万人幸福の栞」を何度も繰り返して読むことを薦められた。その際①著者を尊敬し②自分のために書かれていると思って読むのがよい。例えば人・己→自分の名前、両親→自分の両親の名前 のように置き換えて読む(P22,P91,P110)など、読み方のポイントを教わりました。判断・決断に迷ったときには是非活用してほしいと力説された。

折りしも、「今週の倫理」660号に、栞と正対し身読することが説かれているのでご参考まで。

事務長 萩野宏樹

2010年4月13日火曜日

4月13日MS 「事業倒産と再建について(体験談)」@横浜市中央

今回の講師は神奈川県倫理法人会監査、横浜鋼管㈱会長の川島明氏、74歳。最初に四国の地図をホワイトボードに描いて、生まれ故郷の四万十川下流の土佐中村を示した。その上で、一緒に酒を飲みたい人物をある機関が25~45歳の人々にアンケートした結果は①坂本龍馬②織田信長③聖徳太子の順であったという。
坂本龍馬(高知市桂浜に像)をはじめ岩崎弥太郎(安芸市に生家)、中岡慎太郎(室戸岬に像)、中浜万次郎(足摺岬に像)など、高知県には幕末に活躍し、龍馬に大きな影響を与えた人物のゆかりの地が多いという。ソフトバンクの孫正義氏も事業家としての坂本龍馬を尊敬し、転機に臨んでは彼の伝記を読み返して力を得たという。

昭和30年に東京浅草に出てきて会計事務所に入所、税理士か公認会計士になろうと努力していたが、24歳のときに品川区にあったプレス会社からのヘッドハンティングに応じ経理課長で入社。2代目社長に気に入られ、その仲人で事務社員と結婚、3年後には金婚式を迎えるとのこと。
労組が強く社長から偽装倒産?!の相談を持ちかけられ倒産・新会社設立に関与、昭和40年に木崎工業㈱の常務に就任した。昭和59年に社長に就任したが、その間の出来事を面白おかしく話され、紆余曲折の多いドラマのようでした。日本鋼管(現JFEホールディングス)の協力工場として、昭和60年には横浜鋼管と社名を改めた。15年前には横浜市鶴見区の日本鋼管の敷地内に工場を移転した。

社長になってから一度も赤字を出していないのが自慢とか。70歳を潮時に社長を譲り会長となったが、仕事は本当に面白いとのこと。名前のとおり明るく淡々と話され、これまでの苦労を楽しんでおられるように感じました。久しぶりに川島さんの軽妙な語り口に接しました。

事務長 萩野宏樹

2010年4月6日火曜日

4月6日MS 「健康は誰のもの」@横浜市中央


本日の講師は当会監査、㈱野毛電気工業創業者・現会長の佐藤日英雄氏。当会最高齢の今月12日に米寿を迎えられる同氏だが、背筋をピンと伸ばし顔色も良く、お世辞抜きにとても若々しい。

東芝研究所に勤務していたが、敗色濃い昭和19年に満州部隊要員として入隊、1年の間に沖縄まで転籍、制海権を失った中での移動で九死に一生を得た。21年に復員して横浜野毛山近郊で特殊抵抗ランプを製造、現在は金沢区福浦に本社工場を構え30数年経つ。同社は半導体部品メーカーで精密メッキを専門としている会社で、社員数約200名、今年創業60周年を迎える。当初はNEC1社のみとの取引関係だったが、取引先を拡げる努力を重ねたことが企業基盤を築き、発展と安定をもたらしたという。

本日の題名「健康は誰のもの」は、社員の健康第一を考えて同氏が当初小冊子にまとめて配布した書名と同じ。得意先や関係者にも配布して好評を得たので、内容見直し・追記をし本にした。増刷を重ね、平成18年には第4刷「続、健康は誰のもの-素晴らしい生命力 自然と共に」を発刊(非売品)した。私たち会員にも贈呈してくださった。

年少時は身体が弱く、磯子区の「峯の灸」に通ったことがあり、健康管理に関心を持つようになった。また20年ほど前、養魚場で生の川魚を食べたのが原因でやっかいな寄生虫にとりつかれたことがあった。2回の外科手術でも退治できなかったのが、たった5日間の入院で完治した経験が西式健康法に傾倒したきっかけという。これは冷温浴や食事療法等の自己治癒力を活かす治療法。健康法のうち①硬枕②朝食抜き③毛管(毛細血管)運動を紹介された。毛管運動を朝夕必ず行うことで、全身の血液循環を正常にし、手足の疲労を治す効果があるとして特に勧められた。上着を脱いで実技されたご様子は毎日西式健康法を実践されていらっしゃるだけに、私などより、ずっときびきびとした身のこなしをされていました。

事務長 萩野宏樹