2011年6月7日火曜日

6月7日MS 『夢こそが現実を拓く』~夢は地道の中にある~@横浜市中央


 本日の講師はミュージカルカンパニー『新生ふるきゃら』プロデューサーの安田 研二郎氏、『劇団ふるさときゃらばん』創立時からのメンバー。
 『新生ふるきゃら』は地域に生き抜く人たちに題材とテーマを求めて作品を創り、全国を上演している劇団。今日は私の原点である『劇団ふるさときゃらばん』(通称ふるきゃら)の初公演から今日まで、夢への挑戦ということでお話します。
 創立当時の既存のミュージカル劇団はブロードウェイなどの海外志向だった。ふるきゃらは日本人の暮らしを描くオリジナル劇団を創ろうと意気に燃えてメンバーが集まり、1983年に創立。

 本当にどこででも受け入れてもらえるものかの検証を兼ね、最初に山形県下での全自治体公演という大きな挑戦目標を掲げた。全部で44市町村あるので、山形市に事務所を設け、そこを営業(制作部隊)の宿舎にした。一つのまちやむらで公演を実現するためには、実際にプロモーターがいない中で800人とか1000人の集客をする必要がある。制作部隊は地元で暮らす人々と出会うために毎日事務所から散っていった。
 上演する作品は「親父と嫁さん」というタイトルのミュージカル。幕が開くとそこに現在のふるさとがあるを目指した、取材を基に作り上げた作品。夏の終わりから雪の降る冬までかかったが、すべての市町村での公演を成功裏にやり終えることができた。当時の私は舞台監督だったが、公演地移動の際には運転手も務めた。何回か往復したが、真っ白な雪と月山が特に美しかったのを今でも鮮明に覚えている。
 まちやむらにはホールがないので、学校の体育館を利用した。ビールケースを積み上げて仮設舞台を作り、柱を立てて引き幕とした。入口には看板や幟も立て、体育館が芝居小屋に変身した。住民が挙って座布団持参で観に来てくれた。どの劇団もやったことのない快挙だったと思っている。

 日本一周公演を創立5年後にやる企画をした。旅公演が我々の仕事といいながら未だ公演をしていない県がいくつも残っていた。目標を掲げた以上はやり遂げたい。鹿児島県知覧町を皮切にスタートした。日本海側を北上して北海道稚内市まで巡り、太平洋側を南下して千秋楽は沖縄県那覇市で、足掛け5年、「村は三三七拍子」の作品で全国47都道府県の公演を実現した。公演回数371ステージ、観客動員数35万人。旅公演の中にふるきゃらの原点がある。
 会場に足を運んでくれたお客さんは普通の人たち。鑑賞するのでなく、自分とダブらせて劇を見るので、役者は本物に迫ろうと努力をした。舞台と客が一緒につくる世界に震えた。

 全国的に棚田を中心に耕作放棄地が急増するするのを喰い止めようと、棚田を全国民的関心事にすべく、ふるきゃらは1999年に東京日本橋の三越本店で「棚田パノラマ展」を実施した。三越の責任者は「難しい企画だが先ずは受けてみよう、伝統を守ることも大切だが新しいことに挑戦する意識がなくてはならない」と語ったという。
 『新生ふるきゃら』は6月27・28日に横浜にぎわい座で商店街を題材にしたミュージカル「トランクロードのかぐや姫」を上演する。野毛は横浜の下町だが、地域のコミュニケーションづくりに貢献できればと願っている。

 地域に密着した劇団ならではの、目の付け所に感心しました。東日本大震災で国民の意気が落ち込むなか、元気と感動を与える劇団として更なる活躍に期待したいと思いました。 

 広報委員長 萩野宏樹

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